ネット党首討論 憲法問題の討論

憲法問題についての全党首の見解表明をうけて、互いの討論がしばらく行われた。このエッセイではその要旨を紹介するとともに、私の憲法討論へのコメントと今回のネット党首討論企画への感想を付け加えたい。


松井氏(大阪維新):教育無償化のためにも憲法改正は必要。

志位氏(共産党):教育無償化のために憲法変える必要はない。教育権、幸福権の規定でできる。

松井氏(大阪維新):今でもできるならなぜ今やらない。憲法に規定しておかなければその問題への対応は政権毎に変わるおそれ。根幹的政策は憲法で規定する必要。

安倍氏(自民党):共産党は良い事でも憲法を変えないのか。自衛隊は違憲なのか。

志位氏(共産党):基本的人権関連でも30条もの規定がある。9条は国民の理想だ。

岡田氏(民進党):安倍氏は憲法改正に熱意。粛々とどこを変えようというのか。

安倍氏(自民党):憲法改正は自民党の党是だ。どの条文を変えるかはまだ決まっていないから今次選挙の争点にはしない。憲法審査会の議論にかかっている。

荒井氏(改革):憲法改正問題を煮詰めたとき、公明党と自民党には大きな違いがあることが見えてくるのではないか。

山口氏(公明):憲法改正は国会で発議するもの。まだ議論が成熟していないので争点にならない。与党は行政権を担うもので、憲法改正を発議する権能はない。

岡田氏(民進党);審査会は一度も開かれていない。現実がともなっていない。

安倍氏(自民党):民主党政権時代も全く動いていなかった。憲法改正問題は国会議員が発議をし、決めるのはあくまで国民だ。


以上が、党首達の互いの討論の要旨である。一人30秒という持ち時間を守って、党首の皆さんはそれでも論点はしっかり主張し、良い討論だったと思う。


この討論にはいくつかの焦点があった。

1. 国民の重大な関心事なのに、なぜ、安倍首相はそれを選挙の争点にしないのか。安倍氏は本来憲法改正に強い意欲もしくは執念を持っている。争点にしないのは姑息だ。2/3の議席を確保したら数の力で改正に持ち込むのでは、という疑念が野党には根強い。新安保法の時は解釈改憲は立憲主義をないがしろにしたという思いが野党の疑念を一層強めている。安倍首相は、憲法改正は自民党結党の党是だ。ただどの条文を変えるかという問題は憲法審査会の議論が煮詰まっていないので争点にならないとする。野党の疑念と安倍首相の建前論は現時点では平行線で引き分けか。


2. 公明党の山口氏は、憲法をめぐる議論がまだ成熟していないと強調した。政党や国会議員のレベルでも成熟していないが、国民のレベルでは成熟という前に、国民は憲法問題を理解するに必要な情報も持っていないのが大きな問題である。現行憲法の最大の争点は第9条だろう。その9条をふくむ現行憲法の主要内容が占領下でどのように起案され議論され制定されたのか。それをめぐるマッカーサーと幣原喜重郎首相との議論と理解はどのようになされたのか。国際情勢はどうだったのか。占領軍もアメリカも極東委員会もその頃、世界の安全保障問題とは、日本の危険から世界をどう守るかだった。

ソ連の脅威が高まり冷戦時代に入るとアメリカの対応は正反対になり、日本を冷戦体制下の同盟国と見るようになった。「平和憲法」の意味は180度変わったはずである。戦後の教育は、国際環境下の日本現代史をほとんど教えてこなかった。何も知らない国民に今、いきなり憲法改正問題を突きつければどういうことになるか。右翼は一瀉千里に走ろうとするだろう。左翼は感情的な反発を強めるだけだろう。国論はいたずらに発散する。それは望ましいだろうか。

今の憲法でも不十分ながら今の日本の必要としていることはおおかたできる。今、なすべきことは、急がば廻れで、現代史教育を最重要科目として、国際環境の中での日本の一世紀の歩みを、覚えるのではなく考える教育として、じっくりと多面的な情報を提供することではないか。国民が自分で自国の歴史を考えられるようになったら、おもむろに自主憲法でも憲法改正でも提起すれば良い。それでも遅すぎることはない。拙速で自己分裂するよりはるかに健全ではないか。


3. ネット党首討論はこのネット情報化時代に有意義な企画といえる。なにしろ情報伝達が早い。インターネットで流れるので、リアルタイムで観たければ全ての内容を見れる。細切れに編集されたマスメディアとはそこが違う。18歳で選挙権がもてる時代にこのメディアはさらに訴求力をもつだろう。若者はマスメディアよりソーシャルメディアに親近感があるからである。


今回の討論会で、私は敢えて司会の古市憲寿氏に苦言を呈したい。彼は小沢一郎党首に、突然、再婚相手は?と質問した。小沢氏が直後に紙片で暴言として抗議し謝罪を要求したところ、古市氏はネット放送なので、登場人物の人柄も感じてもらおうと思って・・と弁解した。本当にそんな理解で司会をしていたのなら、聴衆をこんなに馬鹿にした態度はない。選挙権をもった若者は自分達の将来について真剣に知りたいはずであり、それを4流のお笑いのセンスでしかも党首のプライバシーをネタに関心を引きつけるつもりだったとは言語道断だ。メディアに携わる人間は真剣な話題を聴衆とともにあくまでも真剣に真剣に問いつづけることが使命であることを肝に銘じてもらいたい。

ネット党首討論 憲法問題への見解

憲法問題に関する党首の見解は、安倍氏以外の他の党首が皆見解を述べた後で、安倍氏が見解を述べ、その後、皆で互いに討論するという形で進められた。このエッセイでは、一連の党首の見解の要旨を紹介し、次のエッセイで、互いの討論の要旨を紹介したうえで、私のコメントもつけることとしたい。


岡田氏(民進党):憲法を変えるのは間違いだ。一定の限定範囲内と言っても武力行使を妨げないことになる。平和主義そのものが変わってしまう。安倍氏は憲法問題は今次選挙の争点でないと言うが、衆参両院で2/3を取れば、改正を発議するだろう。国民にはもっと危機感を持ってもらいたい。日本の誇るべき平和主義が危うい。安倍氏は立憲主義を理解してもらいたい。力で押し切るのは危険だ。

山口氏(公明党):自民は憲法草案をつくって全体を変えようという立場。公明党は、現行憲法の必要箇所を部分的に変える”加憲主義”だ。与党合意は行政権の範囲であり、発議するのは国会。改正の合意をするなら国会ですべし。まだ国民に問いかけるほど議論が成熟していない。国民の理解を得つつ基本を守りながらギリギリの調整をする。

志位氏(共産党):昨年9月19日に新安保法制を可決したが、数の横暴だった。アメリカの戦争に日本が巻き込まれる危険。新安保法制は廃止するしかない。憲法9条では集団自衛はできないことは明白なのに、拡大解釈で立憲主義を変えてしまった。自民党の改憲案は9条2項を変え、国防軍をつくり海外派兵をする。国民の人権が逆に制約されてしまう。今次選挙の大争点だ。

松井氏(大阪維新):憲法を変えるのは国民投票で国会議員ではない。ただ、発議は政党。憲法改正が必要なのは9条だけではない。時代に合わなくなった部分は多い。たとえば道州制でも選挙で提案すると賛成多いが選挙終われば手つかず。日本を多極分散型にするには国と地方の統治機構を変える必要。そのためには憲法改正必要。義務教育以上の無償化には憲法改正必要。

吉田氏(社民):安倍氏は任期中に憲法改正したいと言明した。今次選挙の争点だ。戦後、憲法が変わらなかったのは国民が望まなかったからだ。現行憲法でも、生存権や幸福権の規定などどこまで実態的に生かされているか。現実を憲法に近づけることこそ必要。現行憲法が果たしてきた役割を尊重してから議論をすべきだ。

小沢氏(生活):憲法は国民の命と暮らしを守る最高のルール。理念と原則は守るべし。自民党の改正案では集団自衛権明示するようだが、戦前の大陸侵略は個別自衛権の発動だった。解釈拡大でなんでも可能になる。日本の平和は世界平和があってこそ。国連中心の平和活動に委ね、積極協力すべし。国連信じなければ軍拡競争になる。

中山氏(日本の心):長い歴史を持つ日本人の手で憲法を。近々、わが党の基本方針と憲法案の概要を発表する。伊藤博文が明治憲法準備のためシュタイン教授に教えを乞うた時、教授は憲法は民族精神の発露。自分は日本を知らぬから教えられないと言ったという。現行憲法は日本知らぬ人々が書いた粗雑なもの。マクネリー教授によれば前文はコピペだという。自前の憲法をつくるべし。

荒井氏(改革):福島原発事故の時、全国民が避難を考えた。いまでも帰れない人々が多い。万が一に備え、抑止力を持つ必要。戦争の抑止力備えてはじめて国民を守ることができる。あの戦争の教訓は、政府はときに暴走したり、間違えたりすること。自衛隊に海外展開は事前に国会で承認の規定設けた。安倍氏は立憲主義を知っているから事前承認のルールを設けた。

安倍氏(自民党):サミット後、オバマ大統領が広島を訪問してくれた。日本とアメリカは世界の課題に挑む希望の同盟。日本を守るために互いに助ける。北朝鮮の脅威に対して、日米の連携これまでよりはるかに強力になった。時代の変化に合わせて変えるべきものは変える。今や世界は大きく変わっており、守るべきものも変わった。憲法改正はめざす。それは自民党の結党の精神だ。ただ、どの条文をどう変えるかなどについては憲法審査会で議論は収斂していない。決めるのは国民投票だ。


以上が各党首の憲法に関する見解表明。その後、互いの討論が行われたが、次のエッセイでその要旨を紹介したうえで私のコメントをつけることにしたい。

ネット党首討論 経済政策討論

今回は、6月19日に行われたネット党首討論のうち、経済政策についての党首同士の討論の要旨を紹介しつつ私の感想も述べることとしたい。討論の発言は1回30秒以内だったので、緊張感もあり、重要な論点が浮き彫りされたと思う。


吉田氏(社民):安倍氏は21兆の税増収といったが、8兆は消費増税で水増しではないか。

安倍氏(自民):消費増税含めて21兆。増税以外で13兆の増収は大きな成果だ。

岡田氏(民進):リーマン級のショックない限り17年4月には消費増税と言っていたのに6月1日の記者会見で突然、消費増税延期とは!

安倍氏(自民):G7で世界不況を乗り越えるためあらゆる政策で対応しようと合意した。その中で日本はこれまでとは異なった”新しい判断”として消費増税延期を決めた。それでも保育、介護などはしっかり充実させる。

松井氏(維新):社会保障財源は恒久財源が望ましい。成長の果実は不確実では?
岡田さん、赤字国債は無責任ではないか。

岡田氏(民進):行財政改革で財源捻出に尽力し、それでも足りないときは赤字国債と言っている。

志位氏(共産):奨学金で300万~1000万の返済に苦しむ人々が多い。給付型奨学金を創設せよ。

安倍氏(自民):無利子奨学金実施方針。給付型は財源得てから実行したい。

松井氏(維新):行財政改革で財源というが民主党政権時代、歳費削減もせず、なぜやらなかった?

岡田氏(民進):国家公務員を純減させた。いま、参議院議員削減をなぜしない?

松井氏(維新):公約に書いたが、力があればやれる。過半数あれば直ちにやった。

荒井氏(改革):民自公で消費増税約束したのに、なぜ民主党は最後まで消費増税推進しなかった?

岡田氏(民進):経済状況によっては先送り条項つけた。安倍さんはそれを削除してから約束を破った。

荒井氏(改革):それは岡田さんがそもそもやらなかったからではないか。

中山氏(心):給付型奨学金はわが党の提案です。子育てにかかる費用削減は重要。

安倍氏(自民):消費増税延期の信を参院選で問うため改選議席の過半を賭けている。また、子供貧困対策に児童扶養手当2倍、自立支援5万円を決めている。

志位氏(共産):安倍さんの言う多様な働き方は「過労死促進法」ではないか。

安倍氏(自民):そうして決めつけ方は不当だ。皆が仕事を選べる経済状態を実現したい。

志位氏(共産):ワタミで原告がどんな被害を受けたか?多様な選択ではダメで法規制すべきだ。


党首相互の討論の概要は以上のようなものだった。一人の発言が、見解表明で2分以内、討論で30秒以内に限られていたので、党首は存分に語れなかったかと思うが、皆さん制限時間以内で見事に論点は主張されており、そのなかから有権者にとって重要ないくつかの問題が浮き彫りにされた。いくつかコメントしたい。


1. アベノミクスは国民にとってメリットがあったのか、あるのか。安倍首相が強調した成果はたしかにあったが、人口縮小・高齢化や世界経済不調という内外の逆風のなかで、財政赤字を縮小し社会保障財源を確保することは与党の現行の政策で果たして可能なのか?その財源を確保する成長は実現できるのか、という最重要問題について議論は深まらなかった。これは国会論戦でもふかまっておらず、野党が力のある対案を示せないことに最大の難点があるようにおもう。

2. 財源確保のための行財政改革はもちろん重要。松井氏の事例は示唆的だ。しかし、はるかに大きいのは日本経済が人口縮小のなかで新しい成長を実現できるかどうかだ。そうした議論を国民は待っている。構造改革が基本だが、中山党首の共同溝の提案なども検討に値する。

3. 18歳以上に選挙権、という条件のもとで、各党とも奨学金の無利子化、給付型奨学金の導入に時間を割いた。このテーマは意欲ある若者達の最大の関心だろう。若者達も各政党のこうした提言が口先に終わらないよう皆で情報を共有し団結して政党に強く要請してはどうか。

ネット党首討論 各党経済政策

6月19日夕、ネット党首討論が六本木ニコファーレで開催された。その一部始終を見学する機会を戴いたので、以下、数回にわたって各党首の見解と互いの討論内容を、私見も交えて紹介したいと思う。討論は、経済政策と憲法問題について行われたが、まず、経済政策についての党首見解を今回、次回に党首間の討論について紹介したい。


安倍氏(自民党):政権についてから、その前の時代に失われたGDP50兆円のうちすでに40兆円を取り戻した。雇用は増え、全国の求人倍率は1.0を超えた。賃金(名目)は3年連続で上昇。パート賃金も上昇。アベノミクスの成果で税収は21兆円増えた。この果実を子育て、介護支援、奨学金、そして社会保障の充実に使いたい。

岡田氏(民進党):今、日本は重大な岐路にある。安倍首相は都合の良い数字だけ挙げている。実質賃金は低下、消費は低迷、国民の8割は生活改善を実感していない。実際、経済は成長していない。金融政策も限界。円高が進み、行き詰まっている。子供の6人に1人、高齢独身女性の半分が貧困。皆、将来不安。成長と分配を両立させる道筋を示すべきだ。岡田氏は安倍批判に終始。大野党として国民が期待できるそれこそ道筋のある対案を出すべきではないか。

山口氏(公明党):3年間で雇用が増えた。高卒就職24年ぶり好調。大卒就職率最高。正規雇用は総量は年満退職者で微減したが、新たな雇用が増加。消費税引き上げの効果を合わせ税収は21兆円増えた。アベノミクスの成果を分配に生かしていく。消費増税延期の分を分配に生かしたい。

志位氏(共産党):アベノミクスの失敗明白。安倍氏は大企業が儲かればやがて家計にも波及すると言ったが、むしろ実質賃金は低下、個人消費は減少。共産党は経済民主化を以下で実現。1. 消費増税10%は廃止。富裕層と大企業の課税強化で財源。2. 社会保障、若者、子育て支援、学費半減、給付制商学金実施、3. 雇用ルール定めてブラック解消。最低賃金は1000円とし1500円めざす。共産党らしい富裕層と大企業からむしりとる分配政策は経済活力を損なう時代錯誤。

松井氏(大阪維新):経済は民主党政権時代より改善。金融緩和政策は正解。積極財政の効果は消費増税で削がれた。自民党は支持基盤に遠慮して規制緩和しにくい。新産業も起きていない。消費増税は凍結せよ。社会保障充実の財源の捻出が鍵。大阪府知事時代、報酬を東京都知事の半分、職員も2700人削減して社会保障財源捻出した。この「維新ノミクス」に学べ。

吉田氏(社民党):安倍氏の唱えたトリクルダウンは実現しなかった。社民党はボトムアップで行く。最低賃金を1000円そして1500円に。中小企業支援、ブラック企業規制、同一労働同一賃金。消費増税はしない。富裕層増税。不公平税制直して社会保障財源に。共産党に似た主張。

小沢氏(生活の党):アベノミクスで経済、生活よくならなかった。実質所得低下。エンゲル係数は上昇。年金基金運用で数兆円の損失。安倍流自由競争市場主義は機能しない。政治は生活だ。消費増による景気回復は必須。雇用、年金、医療など国民生活安定の施策実行せよ。生活重視を叫ぶのは良いが、小沢氏本来の合理的経済政策実行論が見られないのは痛々しい。

中山氏(日本のこころ):消費増税は所得が2倍になるまで凍結。財政出動で経済に明るさを。日本はインフラ投資の公共事業で成長してきた。いまそのインフラが劣化している。全国に協同溝(上下水道、電気・ガス、通信収めた地下道)敷設の提案。需要増加で景気回復間違いない。

荒井氏(新党改革):脱原発。アベノミクスで失業者が減り失業保険積み立てが6兆円に。これを介護、保育支援に使え。ニワトリ(経済)を太らせて税収を格差対策に。わが党は提案型。批判ばかりでなく政策・提案で競うべし。皆で力を合わせて日本を良くしていこう。


次回は、各党党首の以上の見解をふまえた、互いの討論の要旨を紹介しつつ私に感想を述べたい。

新段階のアベノミクス

2016年5月18日と19日に、安倍政権は、2013年以来推進してきたアベノミクスに代わって、その革新版もしくは新段階に入ったアベノミクスともいうべき戦略構想の全貌を明らかにした。それは”一億総活躍”というスローガンを冠した新三本の矢から構成される。

”一億総活躍”をいわばキャッチフレーズとする新段階のアベノミクスを推進するという方針は、すでに2015年秋の内閣改造を機に10月頃には示されていた。それを構成する新三本の矢のイメージは、第一の矢 ”希望生み出す強い経済”として2020年までにGDP600兆円を実現する、第二の矢 ”夢つむぐ子育て支援”は希望出生率1.8をめざす、第三の矢 ”安心につながる社会保障”は介護離職ゼロをめざす、として公表されていたが、2016年5月26~27日の伊勢・志摩G7サミットを前にその概要が経済財政諮問会議、産業競争力会議、規制改革会議の報告として発表されたわけである。

まず、新アベノミクスの目玉である”一億総活躍”とは何かを見ておこう。政府は「若者も高齢者も、女性も男性も、障害や難病の人も、一度失敗をした人もみんなが包摂され活躍できる社会」と定義している。具体的には、1. 希望出生率1.8の実現のために少子化対策として保育枠の50万人の拡大などで待機児童の解消をめざす、2. 働き方改革として同一労働同一賃金原則を徹底し正規と非正規労働者の待遇差の解消をめざす、3. 介護離職ゼロをめざして介護労働者の給与改善などにより介護サービスを良質ともに拡充する、などが主な内容だ。

少子化と高齢化そして介護負担などで収縮する労働力をこれらの改革によって増強し、経済成長の労働力制約を緩和しようというもので、その趣旨は評価できる。これは介護施設や保育施設だけでなく企業の雇用慣行や家庭の在り方に深くかかわる課題であり、目的を実現するために何をどこまで本気で実行するかが問われる。現段階では実現のための道筋はまだ見えない。

新アベノミクスは3つの委員会の報告書から構成される。まず、経済財政諮問会議「経済財政運営と改革の基本方針2016」は成長と分配の好循環を実現するため、結婚・出産・子育て、成長戦略の加速、新たな有望市場の創出、消費の喚起、成長と分配をつなぐ経済財政システム、そして経済・財政一体改革として社会保障、社会資本、地方行財政の改革を強調している。

つぎに、競争力会議の報告を見よう。これは成長戦略のいわば本体を成す部分で、「日本再興戦略2016」と名付けられている。その要点は、2020年までにGDP600兆円を実現するための10分野にわたる官民戦略だ。それらは、1. 第4次産業革命で、自動走行やロボット活用を推進し20年までに30兆円創出する。2. 健康立国:医療の効率化等を進め、同じく26兆円、3. 環境投資:省エネを進めて28兆円、4. スポーツ産業振興で15兆円、5. サービス産業の生産性向上で41兆円、6. 農業改革で資材コストの削減等をつうじて10兆円、7. 中古住宅市場整備で20兆円、8. 観光立国で30年までに15兆円、9. 空港など公共施設の民間運営で10年間で12兆円、10. 消費をプレミアム商品券などで喚起、などである。数字は直接的な付加価値創出と効率化による節約分を示すが、後者も間接的な価値創出となりGDP増加に貢献する。加えて、行政手続きの簡素化や、高度人材の永住権獲得条件の緩和などで経済活力を強化するとしている。

いまひとつ、規制改革会議報告「規制改革に関する第4次答申~終わりなき挑戦」を見よう。答申は、おもに5つの分野で具体的な規制改革を提案している。1. 健康・医療分野では在宅看取り規制改革や診療報酬審査の効率化など、2. 雇用分野では有期雇用法制見直しなど、3. 農業では、牛乳・乳製品の生産・流通の規制改革や生産資材価格形成の仕組み見直しなど、4. 投資促進では、運転免許規制見直し、インバウンド観光規制、エネルギー・環境などの規制見直しなど、5. 地域活性化分野では民泊サービスの規制緩和などが挙げられている。

”一億総活躍”をキャッチフレーズにした新段階のアベノミクスは以上のように、子育て中の主婦が働きやすく、非正規労働者の待遇を改善し、介護離職せずに働きつづけられるような政策支援によって労働力参加を促進して経済成長を支えること、他方、ICT進化によるデータ革命時代の潮流をとらえて産業の各分野の活性化をはかる、さらに具体的な分野で規制改革を進めるといった内容になっている。

多くの政策項目が並べられているが、問題は、これらによって、膨大な財政赤字を吸収できる、そして急増する高齢化の社会的費用を賄うに足る経済成長が実現できるか、ということである。政府はかねてから、2020年に向けて年率名目3%、実質2%の経済成長がつづいても基礎的財政収支は10兆円以上の赤字になるという試算を公表している。また、税と社会保障拠出を合わせた国民負担は現在、所得の4割に達しているが、2050年には7割を超えると多くの研究機関が試算している。しかし、足元の経済成長率は実質でも名目でも1%前後でしかない。

しかも、新段階のアベノミクスでは、2014年に発表された第二次成長戦略が意欲的に取り組んだ経済の構造改革の視点がほとんど見られないのも不可解だ。構造改革は本来これから本格化すべきはずだ。

経済成長の基本要素である労働供給の促進に着眼したのは適切だが、日本の労働力は現行の経済構造のままではこれから年率0.7%そしてやがては1%程度も縮小していくと見込まれている。サービス経済化した日本の成熟経済では、一人当たり生産性の上昇率は年率1.2%ないしせいぜい2.0%程度しかないと見込まれている。労働力減少を考慮すると長期的な潜在成長力は0.5%ないし1.5%程度となる。その程度の成長では、上記の財政問題や高齢化の社会的費用の問題は深刻化するばかりだ。それでは日本経済は遠からず持続可能性を失う運命になる。

この大問題には、新段階のアベノミクスでも、おそらく対処できないだろう。次に機会にそれでは、私たちは何をすべきなのか考えてみたい。

(The Huffington Postへの投稿より
http://www.huffingtonpost.jp/haruo-shimada/abenomics_new_b_10249680.html

スライスするアベノミクス

前回のエッセイで、2015年6月に発表された第三次成長戦略は、第二次成長戦略の取り組みをまったくふまえず、その構成は2013年の第一次成長戦略とほぼ同様で、内容はむしろ退化していることを指摘した。

安倍政権は2015年秋に小幅な内閣改造をして再出発したが、10月に入って、”一億総活躍”というスローガンを掲げて、「新三本の矢」と名付けた”成長戦略”の方向性を示した。”新三本の矢”はアベノミクスが第二段階に入ったことを示すものと位置付けられた。すなわち、第一段階はデフレを脱却するための戦略だったが、第二段階は”一億総活躍”のための戦略であるという。

一億総活躍とは、たとえば、子育て中の母親や高齢者も働けるなど、国民すべてが活躍できる環境を整備するといった意味のようである。そのための新三本の矢は以下のように説明された。

第一の矢:”希望生み出す強い経済” 目標は、2020年までにGDP600兆円を実現。
そのために、投資を促進し、生産性革命を起こし、賃金を引き上げて消費を喚起する。

第二の矢:”夢つむぐ子育て支援” 目標は、希望出生率1.8を実現。希望出生率とは子供を産みたい夫婦の希望の平均である。そのために、若者の雇用安定、三世代同居や近居、希望する教育ができるなどの環境を整備する。

第三の矢:”安心につながる社会保障” 目標は介護離職ゼロ。そのためには介護サービスの基盤整備、介護家族への相談機能強化、介護家族が休暇をとりやすい職場環境を整備する。

新内閣では”一億総活躍”戦略を政権発足当初から安倍首相を支えてきた側近中の側近、加藤勝信氏が担当し、関係各省をまとめて率いることになった。

これらのスローガンは耳に心地良いし、日頃とかく見過ごされやすい子育て中の母親や介護家族に焦点を当てることはそれなりに望ましい福祉ではある。アベノミクスは第一段階の強者優先の戦略から、第二段階には国民各層を巻き込む”inclusiveな総合的成長”戦略に進化したとする論者もいるが、果たしてそれで財政再建や社会保障充実のための財源を生む成長を実現できるだろうか。”inclusive”の概念には経済成長よりも「国民すべてに手を差しのべます」という政治的含意があるのではないか。

さらに、低所得の高齢者に3万円を支給するという政策が打ち出された。その予算は3600億円である。この給付は消費促進効果はともかく、1200万人という多数の高齢者へのより直接的なアピール効果が露骨に期待されているのではないか。

そのうえ、2015年10月には、安倍首相は2017年4月に予定された消費税の10%への引き上げに際して軽減税率の導入を指示した。軽減税率は創価学会婦人部が強く求めていたとされるが、エンゲル係数の高い低所得者より高所得者は食料品の消費額が高いから、低所得層に有利な再分配効果は必ずしもない。しかし11月には公明党が要求する食料品すべての税率を据え置く方式を安倍政権は丸呑みし、12月には「これは政局だ」として党内批判も封じたと伝えられる。経済法則に沿わない政局優先とは何か?それは7月に予定される参院選への対策だろう。今、日本国民がもっとも必要としている経済成長への努力を犠牲にしても7月の選挙を重視する、その背後にはいったい何の企図があるのだろうか?熊本地震以前まで意識されていたとされる憲法改正のためなのか?2013年から世界の注目を浴びて成長を求めて進められてきたアベノミクスは、ここへきて急速にスライスして行くように見える。

新三本の矢の1本として唱えられたGDP600兆円は、夢としては良いが、そこに到達する道筋が見えないと批判された。2016年4月19日、政府の産業競争力会議はそれを実現するための成長戦略の概要をまとめたと報道された。そこには「官民戦略プロジェクト」として第4次産業革命、サービス産業生産性向上、観光立国、環境投資など10分野のプロジェクトが盛り込まれているという。政府は5月下旬に予定される伊勢志摩サミット前に、成長戦略の詳細を確定するとされる。今度こそは現実的で本格的な成長戦略が策定されることを心から祈りたい。

(The Huffington Postへの投稿より
http://www.huffingtonpost.jp/haruo-shimada/abenomics_b_9744444.html


 

湖南大学の学生諸君との討論会

湖南省訪問と題した前回のエッセイで、湖南大学の学生諸君との討論会にふれましたが紙幅がなくてその内容に立ち入れなかったので、ここでその内容をやや詳しく紹介したいと思います。これを読まれると、学生諸君の能力の水準がわかると思います。

湖南大学は1926年に創立、今年90周年を迎える中国南部の名門公立大学です。学生数は約3万人。本科生約21000人、研究生約14000人、教職員4300人。長沙市岳麓山のふもと154万m2の広大なキャンパスに展開する総合大学です。段躍中先生の要請で、学長、副学長主催の学生諸君のための討論会が実現しました。ちなみに討論会に先立って私の客座(員)教授任命式も挙行されました。

討論会は午後3時から5時頃まで約2時間。階段教室を埋める約200人の学生諸君が参加してくれました。まず私が冒頭で問題提起をし、その後は討論を行う形です。せっかくの機会なので、私は問題提起は中国語でしたいと要望し、つづく質疑は日本語もしくは英語でお願いしました。講演のタイトルは「日・中経済と日中関係」です。まず中国の近代史を振り返り、阿片戦争から辛亥革命、日中戦争、戦後の発展から習近平政権の新常態経済まで、日本については、日清戦争から日中戦争、太平洋戦争、戦後の復興・発展からアベノミクスまで振り返り、両国の直面する経済改革の課題を指摘し、日中両国の協力のメリットを述べるという約30分の講演でした。中国語の勉強を始めてまだ2年の私にとっては一大挑戦でしたが、学生諸君からすべて分かったと言ってもらったのは望外の喜びでした。

この講演をふまえて、学生諸君から次々と質問があったので、そのいくつかを紹介しましょう。

◯「島田先生は1997年から2006年まで政府の税調委員をしておられましたが、安倍政権では2014年の消費税引き上げにつづき、2017年4月に再引き上げを予定している。しかし経済は低迷しており、再引き上げは不況を誘引するおそれがある。国の内外に慎重論が高まっている中で安倍首相はリーマンショック級の衝撃でもなければ、引き上げをすると言明しているがそれは本気なのか?」(日本語)。私は、消費税引き上げの大局的意義を説明し、政治判断は消費者の対応をどう読むかによる、とコメントしました。

◯「日本の失われた20年と言われる長期デフレの要因として、島田先生は1980年代中盤以降のアメリカの円切り上げ要求を受けて輸出減少を恐れた日本政府が景気拡大策を取り続けてバブルが膨張したので、引き締めが遅れた分、強烈なバブル潰し政策がとられたことを挙げているが、原因は、産業構造、高齢化から教育まで多岐にわたるのではないか」(日本語)私は、質問を評価しつつ、中国など低賃金諸国との競合、経済減速による需給バランスの変化を付け加えた。

◯「中国からの留学生が多いのに日本からの留学生が少ない。日本人の中国理解を進めるには日本からの留学生をふやす必要があるのではないか」「最近の日本企業は元気がない。電化製品もスマホも韓国に負けている。日本産業をどう展望するか?」(英語)私は日中の賃金格差が半世紀の間に30倍も変化し、産業構造も大きく変わったという歴史的変化を説明し、留学生の興味も、得意な製品も大きく変わることを理解すれば、これからの展望も描けると説明。

◯「日本は急速に高齢化しているが、財政も膨大な赤字となっている日本は、これらの問題をどう克服していくのか?」(日本語)私は、人口構造が若かった時代にできた社会保障など分配構造を抜本的に変える必要があるが、選挙による民主政治ではそうした政策を取るのが困難。中国もやがて同じ問題に直面するが、選挙をしない国なので、やり易いかもしれない、とコメント。

◯「政府と企業の関係は国有企業から民間企業まで多様な形態があるが、民間企業が主体の日本では補助金など事実上、国家の支援もある。国の企業への関わりはこれからどう変化していくのか?」(英語)私は、日本は戦後でも国策の影響が強かったが時代があるが、次第に民営企業の時代になった。中国もやがて民営企業主導の時代が来るのでは、とコメント。

以上はごく一部の紹介ですが、私の講演の意味をしっかりとらえ、日本への強い問題意識をもって、3カ国語を駆使して、鋭い質問をしてくる学生の優秀さに強い印象を受けました。場面を替えて、今の日本の大学で、例えば韓国の教授を迎えて学生がこのような質問ができるとは想像できません。

私はアジア諸国の大学との学生討論会をこれまで25年間主催してきていますが、20年前の中国では想像もつかない長足の進歩が人づくりの面でも実現していることにショックを受けました。彼らが10年、20年、30年後の中国を担うのです。人口減少でこれから小さくなる日本が人材面で大きな遅れをとるなら日本の将来は一体どうなるのでしょうか。想像したくない現実です。今回の湖南省訪問で一番学んだのはそうした現実をしっかり見据え、新たな覚悟でお互いに切磋琢磨していく必要を痛感したことでした。

(The Huffington Postへの投稿より
http://www.huffingtonpost.jp/haruo-shimada/discussion-in-hunan-universty_b_9734032.html

湖南省の旅

4月中旬に短期間ですが、中国の湖南省を訪問しました。訪問したのは省都、長沙と隣の婁底市です。湖南省は、毛沢東の出身地として知られていますが、そのほかにも多くの指導者を輩出して中国の近代化をリードしてきたところです。主な人々だけでも、太平天国の乱を収め思想家としても名高い曾国藩、孫文の辛亥革命を実現させた黄興、宋教仁、また劉少奇、胡耀邦、朱鎔基などは湖南省出身です。また湖南省は、7000万人を超える人口を擁し、経済、産業、交通、政治、文化など中国南部の中心といえる大きな省であり、省都、長沙は720万人の近代化された大都市です。

私は若手事業家の勉強塾「島田村塾」の有志10数人と長沙市を見学し、大学や企業も訪ね、官僚、事業家、学者など多くの人々と意見を交換しました。また、近郊の中都市、婁底市では曾国藩の旧居や農村地域を見学し、大学を訪ね、多くの人々と懇談をしました。

湖南省は中国では、政治革命の発祥地、経済と文化の中心地として知られていますが、日本からは直行便が週2便しかなく、上海や北京や大連などにくらべ日本ではまだあまり知られていない地域です。なぜその湖南省をたずねることになったのか、それは私の友人である段躍中先生との交流のおかげです。

段先生は日中の架け橋として知る人ぞ知る存在です。彼の多くの貢献の中で中国全土の若者のための「日本語作文コンクール」は特筆すべきでしょう。12年前からつづけている運動で、日本に行ったことのない若者が毎年2~5千人もこのコンクールに応募し、最優秀者を日本に招いています。これは本来、日本政府が実施するのがふさわしいような運動ですが、独力で各方面の賛同者を得て頑張っておられます。先生は日本僑報社を経営し、今の中国と日本のありのままの姿の相互理解のために18年間に300冊も出版しました。9年前から池袋で毎週日曜に「漢語角」という街頭中国語交流会をつづけ、また、「湖南省友の会」も運営しています。

彼は湖南省婁底市の出身ですが、北京で新聞記者を数年経験後、1991年に来日しました。まったく日本語ができない彼が生活のためにアルバイトをした上野駅構内の居酒屋の主人が仕事の後で彼に日本の新聞記事を読ませ、何日もの修練の後ではじめて正しく読めた時のお祝いの”生姜焼き”の味と主人の優しさを一生忘れないという義理堅い人物。日本人の良さを中国人に伝え、中国の現実を日本人に理解させるために獅子奮迅の活躍をしている段先生には頭が下がります。その段先生が、私が大切にしている島田村塾の若手事業家達に日本人が普段あまり行かない湖南省を紹介してくださる旅でした。

この旅ではいくつもの発見がありました。上海から中国版新幹線で4時間半ほどかけて湖南省長沙市に入りましたが、約1000kmの道中、真新しい高層ビル群が切れ目なくつづく壮観、しかしその多くが使用されていない姿に、近年の経済発展の凄まじさと、過剰投資・過剰設備の恐ろしさを実感した思いでした。
 
長沙の街は、ピカピカの高層ビル群、高架高速道路、車のラッシュで、かつて私が留学した頃の最盛時のシカゴを思わせる活況。女性は美しく化粧しファッショナブルで、人々は日本に親近感と興味をもっており、メディアが伝える冷却した日中政治関係とは別世界の日常の現実を体感させられます。

毛沢東は英雄というより神格化され、たゆとう湘江のほとりの広大な公園には若き日の毛沢東の胸像がスフィンクスのように聳え、婁底市郊外の曾国藩旧居を見学する人はひきも切らず、故郷の偉人を崇拝する伝統が印象的。極めつけは、私が講演の機会を得た湖南大学の学生諸君の対応、反応でした。世界諸国の学生に接してきた私は、彼らの優秀さ、分析力と理解力、積極性は、おそらく世界第1級と言えます。多くの問題をはらむ中国ですが、こうした人材を育てている事実が将来、何を意味するかを私達は率直に理解しておくべきでしょう。この点は重要なので、次の機会にやや詳しく紹介したいと思います。

湖南省は、上海や北京にはない、活力と息吹き、伝統と誇り、そして生活感があり、やがて世界の大国になろうとする中国のあたりまえの力強さを実感させてくれたように思います。

(The Huffington Postへの投稿より
http://www.huffingtonpost.jp/haruo-shimada/trip-to-hunan_b_9725640.html

アベノミクス:後退した第三次成長戦略

安倍政権は、2014年6月に策定した第二次成長戦略で、戦後政権でははじめてといえるほど全面的かつ本格的に構造改革に取り組んだ。その内容については特に資本市場と企業統治、農業改革、労働改革の分野に焦点を合わせて、前回までのエッセイでやや詳しく紹介した。これらの分野は”岩盤規制”といわれるほど既得権が強固に浸透しているので、政権が改革に懸命に取り組んでも改革の趣旨を実現するにはなお多大な課題が残されていることを前回までに説明した。

安倍政権は、2015年6月22日に、「日本再興戦略2015」と題して第三次成長戦略を閣議決定し発表した。第二次戦略でかなり踏み込んだので、第三次では残された課題に取り組み、成長戦略の改革の趣旨を実現するものと人々は期待しただろう。私もその一人だった。ところが、その分厚い戦略の内容を読んで思わず愕然とした。

第三次成長戦略は、当然、前年の第二次戦略の成果をふまえ、そこで残された重要課題の解決もしくは進展のために注力するものと期待したが、そこでは第二次戦略の成果も課題もほとんど記述されておらず、戦略の主要部分は、第一次戦略と同じ3つのアクションプランだった。それは、1.日本産業再興プラン、2.戦略市場創造プラン、3.国際展開戦略の3つだが、その内容は第一次戦略にくらべてもむしろ後退している。第1次戦略にくらべ、大学の役割が強調されているのが強いていえば新味のようだが、それも、内容はイノベーションへの期待で終わっている。

第三次戦略では、3つのアクションプランに入る前の総論に多大なスペースを割いている。まず、アベノミクスは第三次戦略から第二段階に入ったとする。第一段階は需要創出をめざしたが、その成果があったので、第二段階では人口減少経済での供給サイドの強化をめざすという。その基本は生産性向上で、未来型投資に注力し、大学の役割に期待し、ローカルアベノミクスと称して地域のサービス産業、農林水産、ヘルスケアや観光産業を支援するという。

総論では、未来型、生産性革命、イノベーション・ナショナルシステム、基幹産業化、稼ぐ力、個人の潜在力強化など派手なキャッチフレーズが踊るがその内容を見ると、どれも抽象的で、具体的な手がかりや実態が見えない。それなのにKPI、PDCA、目標・工程管理、政府一体取り組みなど、掛け声ばかりが目立つ作文以上のものではない。

3つのアクションプランには具体的内容があるように見えるが、精読すると、「大学改革」以外は、ほとんど第一次戦略の内容の焼き直しかむしろ希薄化でしかない。もっと具体的な内容はないか探すとようやく戦略の最後に、改革のモメンタムと称して「改革2020」を推進するとしている。その内容は、1.自動走行技術、2.分散型エネルギー資源活用、3.先端ロボット技術、4.医療のインバウンド国際展開、5.観光立国のショーケース化、6.対日投資拡大にむけた誘致方策である。おそらく第三次戦略でのもっとも具体的内容はこの6項目だろう。しかし、これらはすでに民間部門で企業が事業として取り組んでいるもので、国家がその命運をかける成長戦略というべきようなものではない。

日本を長期のデフレから脱却させ、望ましい成長軌道に乗せるというふれこみで、華々しくスタートした”アベノミクス”の熱意は一体どこへ行ってしまったのだろう。第二次成長戦略まではその取り組みは世界的にも注目されていた。第三次成長戦略は世界はおろか国内のメディアでもほとんど取り上げられなかった。それは取り上げるべき具体的内容がないからなのだろう。

アベノミクスの成否の鍵を握る成長戦略が空疎な作文に終わるのであれば、アベノミクスに命運をかけざるを得ない私達国民にとってもそれは甚大な問題である。アベノミクスは今、どこへ向かおうとしているのか、今後のエッセイでその後の展開を追ってみることにしたい。

(The Huffington Postへの投稿より
http://www.huffingtonpost.jp/haruo-shimada/abenomics_b_9677502.html
 
 
 
 

 

アベノミクス:第二次成長戦略:労働改革

労働改革はアベノミクスの成長戦略の中でも最重要な改革である。2014年6月に閣議決定された第二次成長戦略では、働き方の改革、解雇の金銭補償、派遣労働法の改正、外国人材の活用が重要な改革項目として掲げられており、閣議決定の前から安倍政権では規制改革会議や産業競争力会議などが中心となって取り組みを進めてきたが、もっとも重要な働き方の改革は労働組合や厚生労働省などの抵抗が激しく、改革は入り口以上には進んでいない。

働き方の改革として、安倍政権では、労働時間規制を見直して成果報酬制度を広く導入することを目指した。日本では占領下で定められた労働基準法によって、労働者はすべからく基本的に労働時間に基づいて報酬が支払われることになっている。これは戦後に吹き荒れた「民主化」の「成果」で、職場における身分差別撤廃がねらいだった。戦前の日本ではホワイトカラー(職員)は年俸ないし月給、ブルーカラー(工員)は日給にもとづく月給であり、現在の欧米諸国の慣行と類似していた。ちなみにアメリカではホワイトカラーエグゼンプションとして経営者予備軍であるホワイトカラーは労働法の適用除外であり、労働時間でなく成果に基づく年俸が基本である。
 
世界でも珍しいホワイト、ブルー共通の労働規制によって身分差別から解放された作業労働者達の勤労意欲は高まり、戦後しばらくは生産面で大きな効果があった。しかし、現代ではブルーカラーの比率は2割ほどで、大部分は広い意味のサービスに従事する。サービス労働の価値はベルトコンベヤーの時間ではなく、顧客や注文主の評価なので本質的に成果報酬がふさわしい。実際、製造業の比重の高かった時代は日本の労働生産性は世界でも高い方だったが、サービス経済化の進んだ近年は欧米主要国の中では最低に落ちこんでいる。

安倍首相は、2014年5月に成果報酬を基本とするホワイトカラーエグゼンプションの導入を指示したが、その後の制度設計の過程で、労働組合や厚生労働省などの強力な抵抗があり、結局、2015年2月に、年収1075万円以上のディーラーやコンサルタントなど特殊な専門職に限定して適用が認められるにとどまり、最大の改革はまだ入り口にさしかかったに過ぎない。

解雇の金銭補償は、法的には解雇が極めて困難な日本では、経済環境変化への企業の適応が遅れ競争力が阻害される弊害が高まっており、安倍政権では法的に困難な解雇でも金銭補償で解決する方式を提案したが、解雇には絶対反対したい労働組合、補償金を払いたくない中小企業主などの抵抗が強く、審議はまだ本格化していない。

派遣労働法は、民主党政権時代に、派遣労働は一部の特殊職種以外は原則禁止とされたが、自民党などが、派遣労働法の改正を提議し続けてきた。その趣旨は、派遣労働を利用する企業ばかりでなく、短時間就労などを望む勤労者や派遣をつうじて経験を積みたい勤労者にとっても使いやすい法制度を実現しようということである。法案の審議は民主党などの強い抵抗で2度廃案に追い込まれたが、2015年9月、ようやく衆議院で可決・成立した。企業は人を替えれば同じ仕事を派遣労働者に任せつづけられるようになる。これは一定の成果といえる。

外国人材の活用は、短期的には東日本大震災の被災地復興やオリンピック向けの建設需要、高齢化にともなう介護労働需要などの高まりに応じた建設労働者や福祉労働者の供給を増やす必要、長期的には人口減少社会や国際化の進行に応じた外国人材の量・質両面での需要拡大に対応する政策である。従来、外国人材の活用は、日本人にできない料理人など特殊職種以外は「研修実習制度」による活用に限られていた。それは一定の研修を経た人材はこれまで3年間は実習できるという制度だったが、2014年に実習は5年まで、帰国後再就労を含めると最長8年まで拡張された。さらに国際化の進展にともなう高技能人材を活用するため入国資格の範囲拡大が現在検討されている。

しかし世界各国が競って迎え入れようとしているいわゆる「高度人材」についての環境整備は着手もされておらず、そもそも日本は主要国では珍しく移民法も制定していないので、有能な外国人材にとっては日本の条件があまりにも不透明で人材獲得競争には乗り出すこともできないのが現状だ。

(The Huffington Postへの投稿より
http://www.huffingtonpost.jp/haruo-shimada/abenomics-work-innovation_b_9667340.html

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